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ディンギーノッてる?(KAZI連載) 『勝手にプロ宣言』 May,2006 text by Koji Ida
「ヨットって、プロはないの?」
職場の呑み会などのとき。
ホロ酔い気分で調子に乗った僕は、ついつい自分の過去の栄光を自慢することがある。
小さな人間が少しでも自分を大きく魅せようとする、哀しい風景。
そこでいつも出てくるのが
「お前がそんなに凄いなら、プロにはならないのかよ?」
という問いかけ。
その質問がでると、「ヨットでもプロはいますけど、数は少ないですね。欧米とは違って日本ではマイナーですから・・・・・・」と、僕の空威張りはみるみる萎んでいくのだ。
「プロフェッショナル」を辞書で引くと“それを職業として行うさま。専門的。”とある。
その反意語である「アマチュア」は“職業ではなく、趣味や余技として行う人。素人。愛好家。”となっている。
辞書の解釈からすれば、この国でセーリング競技に携わる人の殆どは「アマチュア」である。
オリンピックを目指すディンギィー種目のトップ選手には、企業ヨット部には所属せずに、Tシャツ販売などでそのキャンペーン費用を補い、フルタイムで活動するセーラーもいる。
セーリングだけでなく、ボブスレーなどでも同じようなキャンペーンをしている選手がいるようだ。
企業のスポーツ離れが進む中で、新しい活動スタイルを確立したアスリートたちは賞賛に値するだろう。
しかしながら、それらも未だ競技すること自体で収入を得ているわけではなく、完全な「プロ」とは言いがたい。
世の中には、プロ選手がいるスポーツがメジャーであり、いないのがマイナー、という解釈もある。
だから、ぜひディンギーレースも「プロフェッショナル」が成立する競技になって欲しいと思うのだ。
そのためには、セーリングが経済価値を生み出すマーケットの存在がなくてはならない。プロと名乗る人たちが、セーリングすることによって得る収入は、そのヨットレースを観るギャラリーが支払うのか、大会スポンサーが賞金として支出するのか。
支払う側の個人もしくは企業は、その金額に見合った価値を感じなければ、観戦料も賞金も負担する気にはならない。
メディアでの露出が少なく、宣伝効果の小さい国内のヨットレースでは、プロを養えるくらいの賞金を出してくれる企業スポンサーは皆無であろう。観戦料を払って、選手と一緒に沖で風待ちしてくれる観客もいるはずがない。
こう考えると、日本のディンギーレースでプロセーラーというカテゴリーが誕生するのは、まだまだ先のような気がする。
しかしながら、結局プロなんて“言った者勝ち”である。
日本のセーリング界にプロセーラーの認定機関がある訳ではない。
僕にとって、セーリングは既にライフワークとなっている。
ワーク(work)という単語には“職”という意味も含まれている。
僕はセーリング以外のライフワークは持っていないので、セーリングは人生における“専門的”な“職”ということになる。
しかも僕はアマチュアを意味する“素人”ではない。
という訳で、前振りが長くなってしまったが、僕はこのたび「1円も経済価値を生み出さないプロセーラー第1号」になることを宣言することにした。
セーリングによって得る貨幣収入は1円もないが、過去にセーリングから得た経験や記憶は、いまの僕の預金残高よりも価値があると思っている。
これからの人生でセーリングによって得るモノも、金銭以上に生きるための糧になると断言できる。
かなり強引な解釈と思うが、こんなふうに思い込んでいる僕は、プロを名乗る資格がある、と勝手に決め付けた。
いままで僕がこの競技に払ってきた犠牲も、つぎ込んできた努力も、プロ野球選手やJリーガーに負けているとは思わない。
そんなヨット馬鹿がたくさん増えれば、いずれ本当のプロが出現する日も近づくはずなのだ。
ですからね、そこのセーラー諸君。 第2号の出現を待ってますよ。 ■
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