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ディンギーノッてる?(KAZI連載)
『厳しさのクオリティー』 July, 2008 text by Koji Ida
「如何に妥協して、何処で諦めるか」
それが、いまの僕の日常だ。
世間一般におけるお父さんたちの例から漏れず、家庭を持ち、子供が生まれてからというものは、どっぷりと育児中心の生活になってしまった。自分のしたいことなどは、二の次どころか、三の次である。
セーリング競技のことだけを考えていた頃は、「決して妥協せず、最後まで諦めない」というスタンスを貫いていただけに、いまはまったくの正反対。今シーズン、久しぶりに目標を持ってレースや練習に取り組もうとしているのだが、このスタンスの切換がとても難しくて困ってしまう。
最近の高校や大学のヨット部では、部員減少が大きな問題となっている。原因は、セーリング競技に魅力がないからではなく、少子化や学生たちの運動部離れなど、どちらかというと社会的な要素の方が大きく影響しているのではないだろうか。
そんな中で、昔のままの厳しいだけのヨット部では、どんどん部員が辞めてしまう。
じゃあ、厳しくするのをやめて、優しさ満点のクラブにすれば部員数が増えるのだろうか。また、部員数さえ多ければ、充実したヨット部生活となるのだろうか。
それは違うはずだ。
まず、セーリングは自然環境の中で行なうスポーツだから、グラウンドや体育館で行う競技よりも危険が多い。
厳しさを含んだ練習で集中力を維持しなければ、油断を招き、事故や怪我に繋がるだろう。それに、たいした高い目標も設定せずに、ライバルやチームメイトたちとの切磋琢磨もなしで、学生たちは、その団体に属している意義を感じるだろうか。
仲間と集まって楽しむだけなら、ヨット部でなくても出来るのだから。
数年前まで母校ヨット部のコーチをしていたせいか、いまでも他のチームの練習風景やレース会場での様子を「よそはどうしているんだろう?」という目で観察してしまう。
そこで気付くのは、一見すごく厳しそうなのに、部員数が多くて、活気に溢れているチームの存在だ。
でもそれらのチームを厳しく見せているのは、昔の運動部でよく見られた上下関係の厳しさではなく、目標達成のためにチーム全員で取り組む、という姿勢の厳しさである。
そんなチームでは、選手たちが「目標=押し付けられた義務や責任」ではなく、「目標=自分たちの内側から染み出してきた、本当に勝ち取りたいもの」となっていることが、強く伝わってくる。
その目標に向かって部員たちが積極的に動き、考え、そして意見を出し合っている姿は、見ているだけで気持ちいい。
文章で書くのは簡単だが、実際にチームの雰囲気をそこへ持っていくのは、本当に難しいことだと思う。僕はそういうチームに出会うと、うらやましくて、ついつい見惚れてしまうのだ。
コーチをしていた頃は、「強くするために厳しくする」「辞めさせないために厳しさを抑える」、この二つのバランスを何処でとるかだけを考えて、悩んでいた。
いまから思えば、そんな矛盾を追いかけていても、中途半端なチームが出来るだけなのだ。
厳しさはしっかりと持ちながら、その厳しさの内容を、いまの学生たちが受け入れてくれるものに変換していくこと。
それが、これからのヨット部運営において大切なことではないだろうか。
僕ら以上の古い人間からすると、「若い連中は、ちょっと辛いことがあるとすぐに逃げ出す」というふうに映るかもしれない。しかしながら、価値の見出せる厳しさであれば、いまの若者たちはしっかりと立ち向かっていくということを、僕はこの目で見続けてきた。
「目標に向かって厳しさを追求する」というのは、ある意味、若いときにしか出来ない特権だ。僕のような妥協と諦めに溺れるオジサンになる前に、皆さんのチームで、厳しさのクオリティーを考え直してみて欲しい。
また何処かの海で、見惚れるようなチームに出会うのが楽しみだ。 ■
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