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ディンギーノッてる?(KAZI連載)

 

魔法の道具

 August, 2008

 text by Koji Ida

 

 

「着るだけで速くなる」といわれる魔法の水着。

 

世間では、北京五輪の競泳種目で選手たちが着用する水着に話題が殺到している。

 

中学まで水泳部だった僕からすると、「なんでもっと昔から無かったの!?」と抗議したくなるが、冷静に考えれば、誰が着ても日本記録や世界記録を出せるわけではない。

 

あくまで、極限のレベルまで鍛えたトップアスリートが更に上を目指すためのツールである。

 

県大会の予選も通過できなかった僕ごときがその「魔法の水着」を着ても、たいして記録は変わらなかったはずだ。

 

もしも記録を伸ばせたとしても、他の選手も同じ水着を着るだろうから、結局のところ予選落ちは避けられない。

 

やっぱり最終的に勝敗を決めるのは、選手の力量なのだ。

 

 

 

考えてみれば、僕たちの取り組むセーリング競技も、競泳と同じ、水の上を移動して速さを競うスポーツ。

 

しかも使用する道具の数や種類、そしてそれらが結果に与える影響力は、競泳の比ではない。「魔法の道具」への渇望は、スイマーよりもセーラーの方が遥かに大きいだろう。

 

日本でのディンギーレースは、ルールで規格を限定されたワンデザイン種目が殆どだ。

 

その中には、レーザー級のようにボートもセールも殆ど完全に均一化されているものもあるが、そのほか国内で普及している470、スナイプ、FJなどは、艇体はビルダーによってハル形状や重量バランスが微妙に違うし、マストやセールもサプライヤー数社から選択できる。

 

クラスルールの許す範囲であれば、選手たちがそれらをカスタマイズすることも可能だ。最適のギアを揃えて、それらの組み合わせやセッティングを完璧にすれば、あまりいい道具を準備できない選手から見ると、「まるで魔法のようなスピード」として映るのだろう。

 

こういった、道具の違いによるスピード差が存在するのは、競技スポーツとしてどうなのか?と、今回の水着問題によって考えさせられてしまった。

 

みんなが等しく最良の道具を使用できればいいのだが、セーリング競技のように、これだけ複数の選択肢があれば、それらを購入して比較検討するための資金力が必要となってくる。

 

「ヨットはお金持ちのスポーツだから」の一言で片付けられてしまうと、そうではない僕は太刀打ちできない。だから、なるべく費用の掛からないよう、それぞれのクラスルールを再考してもらいたいと願うのだ。

 

オリンピックやユース育成種目で採用されるボートは、その理念や目的からすれば、限りなく道具の差をなくした完全なワンデザイン種目を採用するべきだと思う。道具を均一化することで、選手の経済的負担は軽減するし、より選手の力量がフォーカスされるから。

 

 

しかしながら、完全なワンデザイン種目を運営することは、管理する側に大きな負担を強いる。これを回避するために、ほとんどのワンデザイン種目はクラスルールにある程度の許容範囲を設けることで、管理の負担を軽減させているのだ。

 

この許容範囲により、道具に選択肢が増えて、逆にまた選手へ負担が返ってくるわけだが、「道具を工夫する」というのも、セーリング競技の大きな魅力だろう。

 

最新のセーリング理論や流体力学を学び、クラスルールを熟読して、その限定された範囲内で最良のボートを作り上げ、そこでライバルと差をつける。道具の性能に依存する競技だからこそ、道具をいじること自体が競技の楽しみ方のひとつなのだ。

 

 

そんな“選手の工夫”を受け入れながらも、その工夫に費用を掛けないように制限するクラスルール。そういったものを併せ持った艇種が理想だと僕は考える。

 

しかしながら、この理想は矛盾が多くて実現は難しい。もしもこれらをすべて解決してくれるボートが誕生すれば、それが本当の意味での「魔法の道具」となるに違いない。

 

 

 

 

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