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アラフォー帆走生活(KAZI連載)
『 セーリング競技と体罰問題』 March, 2013 text by Koji Ida
競技スポーツにおける指導者からの体罰やパワーハラスメントが社会問題になっている。僕らのセーリング競技では一体どうなのか。他人事ではなく、自分たちのこれまでの慣習や今現在の状況をしっかりと確認し、必要であれば正さなければならない。
僕がこれまで見てきた限りでは、セーリング競技の場合、ヨット部の監督や顧問など、指導者が選手に暴力を振るうという場面は、その他の競技に比べて少ないのではないかと思う。まず、練習や試合をする場所が海の上だ。体育館やグラウンドで行うスポーツと違い、指導者が選手を厳しく指導したい場面があったとしても、手や足が届くところまで近づけない。必然的に、陸に上がってからの指導となり、指導者はそれまでに冷静さを取り戻すことができる。
しかしながら、選手間のパワーハラスメントはどうだろうか。一番多く見られるのが、二人乗りディンギーでの先輩スキッパーから後輩クルーへの暴力。大学学連のレースなどで、マーク回航やヒールトリムでクルーがミスをしたとき、スキッパーが後ろからクルーを殴打しているという場面は、昔からよく見る風景だ。以前よりは減ったのだろうが、現在でも撲滅されたとは思えない。
日本のディンギーレースでは、ある意味でありふれた風景だが、これが卓球やバトミントンのダブルスでのことだったら、どうだろう。二人ペアの競技スポーツで、試合や練習中に選手が自分のパートナーを殴るというのは、常識では有り得ない出来事だ。その有り得ないことが、ここでは起こっている。狭いヨットの上は、周囲の目から離れ、孤立した空間となる。そこで行われるパワーハラスメントは、誰からも邪魔されず、逃げ場もない。周囲は、暴力を振るう選手が多少は優秀なセーラーであれば、「後輩への少し厳しい指導」と都合よく解釈し、見て見ぬ振りをしてきたのではないだろうか。その黙認してきた人間に、僕自身も含まれる。
体育館やグラウンドで行う競技と違い、セーリングは自然環境の中でのスポーツなので、その危険から身を守ろうとすれば、経験のある年長者からの指導がきちんと行き届くための上下関係も、やはり必要だ。勝利至上主義が悪いとも思わない。最上級の結果を求めることで、はじめて得られるものもある。努力の度合いが強いほど、敗北にも価値が見出せる。
勝利のためには、体力や技術だけでなく、メンタルタフネスも不可欠だ。精神的に強くなろうとすれば、日頃の練習からストレスや刺激を与え、それを克服させる作業が必要となる。本番の試合で生じる緊張や不安などを乗り越えて、ゲーム中に実力を発揮するために、不の感情を正に置き換えるメンタル・スキルを身に付けなくてはならない。この練習中の精神面への負荷を、どのようにして加えるのか。それが体罰になってしまっているのが問題なのであり、セーリング競技に限らず、この国のスポーツ指導の直すべき課題なのだ。
体罰や恫喝ではなく、その選手の個性にあわせた方法で、強くするための適切なストレスを与え、選手がそれを乗り越える過程をしっかりと見守る。選手にもそういった目的と方法でストレスを与えることを事前に説明し、理解してもらった上で、トレーニングを進めていく。それが、競技スポーツでの指導者と選手の関係に、運動部での先輩と後輩の関係に、必要なことではないか。皆さんの中でも、考えて欲しい。 ■
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