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アラフォー帆走生活(KAZI連載)

 

技のステイタス』

 April, 2013

 text by Koji Ida

 

 

2月のIOC理事会で、レスリングが採用種目から外される候補のひとつとなり、それが巷の話題になっています。ありゃま、可哀想に。

 

野球とソフトボールの次はレスリングですか。

なんだか、日本人の強い種目から順番に外されている印象ですね。今度はJUDOやフィギアスケートがヤバいんじゃないですか。

 

この五輪除外問題、僕らのセーリング競技も他人事ではないのですが、IOC会長が身内で本当によかった。ロゲさん、ずっとこのままでいてくださいな。

 

ただ、今回の騒動で僕が感じたのは、レスリング関係者のあまりに露骨な“五輪依存症”の姿です。過去の大会でメダリストとなった選手たちが、オリンピックがなければ夢も希望もないようなコメントを繰り返しています。それって、どうなんでしょう。

 

レスリングにはレスリングとしての、独自の魅力はないのですか。五輪という冠がつかないと、まったく価値のない競技スポーツに落ちぶれてしまうのですか。

 

レスリング除外に反対する日本国民にも言いたい。

五輪から外されるのが近代五種やテコンドーなら文句はないのですか。その競技にも、頑張っている日本人選手たちがいるのですよ。

 

 

 

というわけで、もしも将来、セーリング競技がオリンピックから除外候補とされたときのことを想像してみる。

 

イギリスや米国、オーストラリアなどの強豪国が、今回の日本のレスリングみたいな反応をするのでしょう。愛好者に財界、社交界の著名人がとっても多い(はずの)セーリング競技です。その除外阻止のためのロビー活動はとてつもなくゴージャスに行われる(はず)。他の競技を蹴落とすための華やかなパーティー。その反面、人気のない日本では大きなニュースにはならず。でも引換えで野球やソフトボールが復活すれば、逆に良きビッグニュース。泣き暮れるセーリング関係者など気にも留めず、日本中が歓喜に満ち溢れることでしょう。セーリング競技が残留しようが除外されようが、どっちにしても見苦しい国際レベルの椅子取りゲームだ。

 

 

だからこそ言いたい。

セーリング競技は五輪に依存しすぎて、そのステイタスにぶら下がっていてはいけない。競技独自の価値を高め、確固とした地位を築かなければならない。

 

いっそのこと、自らIOCを脱退してみては如何か。いつ五輪から除外されるかビクビクして過ごすよりも、「僕らは五輪に頼らず自分たちで盛り上げますから、他の競技さんを入れてあげてくださいな」って感じで。

 

そうすれば、「さすがキング・オブ・スポーツのセーリング競技だ、とっても太っ腹ですね!」と世界中から尊敬を集めることでしょう。

 

 

僕は、セーリング人生の大半をスナイプ級という五輪とは関係ない種目に費やしてきた。競技活動の途中で、スナイプは国体からも外された。しかしながら、自分のやってきたことの価値は、何ひとつ揺らぐものはないし、何者にも左右されない。それは僕自身が、その種目自体に確固とした価値を見出していたからだろう。

 

レスリング除外問題の報道の中で「五輪から外されたら、やっている意味がない」、そうコメントしたレスリング選手がいた。本人の想いを正確に表現した言葉ではないかもしれないが、この発言だけを捉えると、競技自体ではなく、五輪のステイタスやそれに伴なう知名度、スポンサー収入などに価値を感じていたと受け取れる。

 

セーリング競技に携わる人間には、そんな志しの低いコメントはして欲しくない。

 

「えっ、五輪から外れるの?まあ、関係ないね。好きなことで世界一を目指すことに変わりはないからさっ!」。

 

即答で、これくらいのコメントをお願いします。

というわけでISAFさん、早くIOCから脱退しませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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