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アラフォー帆走生活(KAZI連載)

 

りがとう、エフジェー 

 November, 2013

 text by Koji Ida

 

い将来、インターハイと国体の少年種目が全面的に変更されるそうです。二人乗り艇種は、FJ級とセーリングスピリッツ(SS)級でバラバラだったのが420級に統一され、国体の一人乗りはシーホッパーSRからレーザー級ラジアルに変わるんですって。

 

時代の流れにあわせて、競技スポーツの道具が変更されるのは仕方なし。でもセーリング競技の場合は、その道具が高額だから問題や障害が大きくなってしまいます。いま、少年層の育成に携っていない僕は、この大改革について良し悪しを述べる立場にありません。まあ、5年か10年くらい後になって、やっと成果が見えてくるんでしょう。関係者の皆さんが、振り返って「あのとき、苦労したけど変更して良かった」と思えるようになって欲しいですね。

 

ただ確実に言えるのは、公式なレースの採用から外れた艇種は、驚くほど短期間で姿を消すということ。420級の普及には、これから多くの時間と労力が必要だと思いますが、FJ級やSS級が衰退するのには、そんなに時間は掛からないはず。高校ヨット部から、あっという間にスナイプ級が無くなってしまったのと同じように。

 

僕のセーリング競技暦は、FJ級がスタートでした。高校でヨット部に入った直後、最初にスナイプ級に乗せてもらったので、そのハイクアウトの辛さに恐怖し、先輩に泣き付くように「FJに乗りたいっすー」と志願しました。当時、そんな一年坊主は僕だけじゃないはず。

 

だから、この場を借りて御礼を言いたい。ありがとう、FJ級。アナタがいなかったら、弱虫で体力に自信がない僕は、すぐにヨット部を辞めていたでしょう。その後、ちゃんと部活を続けられて、レースであちこちへ遠征に行けたのも、スポーツ推薦で進学できたのも、すべてFJ級のお陰なのです。

 

ヨット部に入ったときは、まだFJ級にトラピーズが採用されてから2〜3年後くらい。練習では古いクラスルールの、おむすびみたいな小さい三角形のスピンを使っていました。母親に頼んで、ボロボロになったハーネスのお尻をジーパンのデニム生地で補強してもらったりして。放課後の1時間だけの練習でも、1日に2〜3回は沈したのを思い出す。いまから思えば、とっても不安定で乗りにくいフネ。でも、シーズンを通して自分たちの練習に付き合って、成長させてくれた。だから、大切なレースの本番には、出艇前に必ずハルをさすって話しかけていました。声には出さずに、今日のレースも頼むぞ、って。

 

次の採用艇となる420級も、若いセーラーたちにとって、そんな存在になって欲しい。競技レベルの向上とか、五輪候補選手の育成とか、そんな難しいことは分からない。でも、高校生たちが自分たちの青春を乗っけて、目標に向かって一緒に帆走るフネ。そんな愛される種目になって欲しい。僕らにとってのFJ級のように。

 

高校を卒業してから、FJ級に乗ったのは2〜3回くらいだろうか。乗る機会が無かったわけではないのだが、大学でスナイプ級に乗り換えてから、カラダがFJ級に合わなくなってしまった。今となっては、スナイプにも乗れないほどの醜いビール腹なので、なおさら無理でしょう。でも、インターハイや国体から無くなるって聞いたら、久々に乗ってみたいかも。そのとき、もう一度FJにサンキューを言おう。

 

というわけで、沈を覚悟で僕に付き合ってくれる人(できれば体重40kg以下)はいませんでしょうか。勇気ある申込みをお待ちしております。ペコリ。

 

 

 

 

 

 

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