|
BACK NUMBER esseys of sailing and life. |
|
|
アラフォー帆走生活(KAZI連載)
『 メダルの価値 』 May, 2014 text by Koji Ida
ソチ五輪が終わって暫くが経ち、メダルラッシュに沸いた日本中の興奮も、どうやら一段落したようだ。それにしても、どうして大衆はあんなにオリンピックに興奮し、そのメダルに固執するのか。3位と4位では雲泥の差。2位と3位なら“どっちでもいい”みたいな感じなのに。まあ、メダルを懸けた瀬戸際でのドラマが、観る人を感動させ、祭典を盛り上げるのだろう。僕もそんな興奮した大衆の中のひとりだ。
僕自身の競技生活はオリンピックと無縁だったが、昔からメダルというものへの憧れがあった。硬質で重みのある実体感。自分の競技における結果や記録が、時間の中に形あるものとして永遠に刻み込まれる。そんな印象を受けるからこそ、誰もがメダルを欲するのではないか。簡単に破れたり、燃えてなくなっちゃう紙(賞状)ではダメなのだ。
我が家の玄関には2個のメダルが飾られている。いずれも、僕が若いときに出場したスナイプ級の国際レースで、参加賞として貰ったもの。レース結果は散々だったが、そこまでの過程や払った犠牲、自分の競技人生のすべてがその形に凝縮されたような気がして、押入れや引き出しの中には仕舞っておけないのだ。青春の大切な思い出として、いつも目に止まる場所に置いておきたい。たぶん賞状だったら、こんな感情は湧いてこないだろう。
僕の参加賞と五輪のそれは比較するまでもないが、オリンピックのメダルの価値を経済的な視点で見れば、競技間での格差が存在する。それは誰も否定できないはずだ。
たとえばフィギアスケート。この日本においてセーリング競技と比べれば経済効果の違いは明らか。人気競技でのメダリストは、スポンサーが付いたり、テレビ番組やCM出演のオファーが殺到したり。それらの副収入で、次の五輪までの活動費を心配することもない。しかしながら、普段からメディアに露出せず、認知度の低いマイナー競技では事情が違う。五輪でメダルを獲ったって、経済面であまり大きな変化は考えられない。メダルの価値を金勘定で比べるものではないかもしれない。でも、この格差を少しでも埋めて、セーリングをメジャー競技に近づけることはできないだろうか。
セーリングに限らず、五輪に採用されている競技団体の殆どが、自国選手のメダル獲得を目指し、強化に力を入れている。そこに期待するのは、競技の認知度向上や競技人口の拡大だ。とくにマイナー競技は、オリンピックという世界で最も注目されるイベントの影響力にすがろうとしている。しかしながら、リオ五輪でセーリング日本代表が何色かのメダルを獲ってくれたところで、競技の普及に直結するだろうか。僕はこのままではそれに繋がらない気がする。テレビや新聞では、メダル獲得という結果は大きく報道するけど、競技の本質や魅力を伝えてくれるわけではない。ニュースから2ヶ月も経てば、大衆はセーリング競技のことなど綺麗さっぱりと忘れてしまうに違いないのだ。
だから僕らは、リオ五輪に向けて、すぐに準備を始めなければいけない。日本選手がそこでメダルを獲り、世間の注目がもっとも集まったときに、セーリング界全体として、なにを、どうやって伝えるのか。僕自身、いまは何も思い浮かばないけど、何かをやらなくちゃ。僕らの期待を背負い、五輪のために青春のすべてをセーリング競技に費やしてくれた選手たちへ報いるためにも、メダルによって得られる価値を無駄にしてはいけない。
というわけでオリンピック出場を目指している選手の皆さん、この話は君たちの中の誰かがメダルを獲ることが前提なので、そこのところ宜しく。できれば、ピカピカの金色のやつを。 ■
|
|
|
esseys of sailing and life. BACK NUMBER |
|