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アラフォー帆走生活(KAZI連載)

 

『 負け惜しみ 

 September, 2014

 text by Koji Ida

 

 

月12日。

甲斐さんが亡くなられたというニュース。

 

それ以来、僕は胸の真ん中に大きな風穴を開けられたような感覚だ。江ノ島沖で、スナイプ級のレース中のことだったと聞いた。甲斐さんらしいと言えばそうなのだろうが、その“らしさ”を語れるほど、僕はあの人のことを知らない。強烈な個性の人なので、歳のはなれた僕には正直言って近寄りづらく、たまに出会っても挨拶くらい。一緒にお酒を飲んだこともなかった。聞きたいことは山ほどあったのに。

 

 

甲斐さんに出会ったのは、高校ヨット部のときだ。当時、毎年1〜2回は鳥取へ来て、僕らの練習を見てくれていた。先輩たちは神様を崇めるように、甲斐さんにペコペコしている。このモジャモジャ頭のヒゲ親父、そんなに凄いんですか?。スナイプの連中と違って、FJ級に乗っていた僕にはそれが分からない。ミーティングでセールトリムについて質問したら、「速い方が正しいんだよ。試してみて、速い方を選べよ。」と教えてくれた。えっと、それが分からないから悩んでいるんですけど。このオヤジ、やっぱりインチキくさいぞ。

 

 

高校3年のとき。僕は同級生のクルーとして、浜名湖で開催されたスナイプ級の全日本選手権に出場した。社会人のレースは初めてだったが、ある程度は行けるんじゃないかと自分に期待していた。でも結果は散々。涙も出ないほど惨めだった。優勝したのは甲斐さん。そのとき、はじめて理解した。このモジャモジャは凄いんだ。

 

 

それから僕は、無意識に甲斐さんを目標としていたのだろう。大学1年のとき。470級からスナイプへコンバートされたときも、周囲は僕が嫌がりはしないかと心配したが、それは違った。これであの人に挑戦できる。浜名湖の借りを返すんだ。リベンジのチャンスを貰い、俄然やる気が湧いてきた。ただ、スナイプ級でレースを重ねるうちに、そこで勝つことの難しさが分かってくる。自分の素質を疑い、絶望することもあった。どうすれば甲斐さんみたいに勝てるんだろう。もしも全日本で優勝できるのなら、その場で死んでもいい。いつしかそう思うようになり、僕は競技に没頭した。

 

 

何シーズンかが過ぎて、僕らの世代が日本を代表して国際大会に出場するようになった。ただそこでも、海外のトップ選手と競いながら、同時にあの人の記録と戦っていた。世界で結果を出さなければ、甲斐さんに追いついたことにはならない。それを意識しまいと思っても、外国人選手が「ミユキ・カイは元気か?」と尋ねてくる。ヨットレースを続ける限り、どこへ行ってもあの人の影から逃れることはできなかった。

 

 

結局、僕はあの人に追いつくことはできなかった。競技活動を辞めてから、取材の仕事でレース会場を訪れると、「お前、何やってんだよ。レースに出なきゃダメじゃねえか。」と、いつもキツく叱られた。僕はペコリと謝りながら、ココロの中で言い返す。(あなたの生き方は真似できないけど、僕だってヨットと人生に真正面から向かい合って、自分の道を探しているんだ。いつかそれを見つけて、絶対に追いついてやるからな、このモジャモジャ頭のヒゲ親父め。)

 

 

どうせ負け惜しみにとられるだろうが、この気持ちをちゃんと口に出して伝えたかった。あなたを目指したのは、僕だけじゃない。多くのセーラーがあなたに勝ちたくて、ずっと挑戦してきたんだ。そして、誰もあなたを超えられなかった。

 

 

これからも僕はあなたを目指し続ける。この世に居ようが居まいが、そんなことは関係ない。そして、いつまでもあなたに勝てず、負け惜しみを繰り返すのだ。それでもいい。いまはそれしか、この胸の風穴をふさぐ方法を思いつかない。■

  

 

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