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アラフォー帆走生活(KAZI連載)
『 観せるセーリング 』(後編) March, 2015 text by Koji Ida
先月号からの続き。 セーリングの普及には、大衆にレースを観せることが必要だ(と勝手に決め付ける)。いま既存のヨットレースでは、エントリー数を増やすために、参加者の満足を優先してルールやフォーマットを決めている。大会の成功=(イコール)参加者の満足、なのだ。その考えを劇的に変えてみたらどうだろう。唯一の目的を「観せる」にした、そんなイベントを企画する。一般大衆が観て、興味を抱くような映像を撮るために。
僕が近年、“観て面白い”と感じたヨットレースは、アメリカズカップ(AC)とボルボオーシャンレース(VOC)。この2つのイベントは、「観せる」の優先順位をかなり高く設定している。ACでは、爆走するモンスターカタマランを準備するだけでなく、それをいかに「いい映像にするか」を考え抜いていた。いや、いい映像にするために逆算してあのボートにしたのだ。VOCでも、荒天の大海原を走る映像迫力は圧倒的だ。世界中の海を回って背景を変化させることで、シーンはいつも新鮮に映る。ベタベタな凪の状況でも、そこにクルーたちのインタビューが入れば退屈にならない。
実際に、この2つのイベントはBS−NHKでも放送された。テレビ局も「価値を感じる映像」と判断したからだ。でも残念ながら、ACは日本では開催されない。VOCも日本は寄港地に選ばれていない。これらのイベントがお茶の間で話題にされるには、日本人のチームもしくは個人が参戦するしかないのだが、いまのところその情報は聞こえてこない。
そんなことを待つよりも、テレビ局や新聞社に「取り上げる価値あり」と感じさせるイベントを自分たちで主催できないだろうか。いまは撮影機材が小型で安価となり、編集用のソフトウェアも使いやすく進歩した。ドローンを使えば、ちょっとした空撮だって可能なのだ。
たとえば、寄港地を何箇所か設けて、日本を縦断するようなラリーレガッタ。目的は「観せる(=魅せる)」だ。極論をいえば、レースの公平性とか、競技性の高さとか、そんなものはどうだっていい。選手たちも気持ちを割り切って、アクター(俳優)としてのセーラーを演じきってもらう。イベント成功の基準は、いかに多くの人にその映像を観せることができたか。
日本中のヨットオーナーたちは、いままで「自分たちが乗って楽しむため」に身銭を払ってきた。それはそれで当然のことなのだが、これからは「自分たちの姿を観せるため」に切換えてもらえないだろうか。ディンギーレースで注目を集める高校総体やインカレだって、もっと観せるための伸び白は残されている。ハイドロモスや49erも、新しい感覚でイベントを企画して欲しい。これだけセイルボートが進化し、その目的が多様化した現在、すべてのボートが風上航を競う必要はないのだ。リーチングでのスラロームや、スピードトライアルのイベントがあってもいい。そんなことを日本でもやれないだろうか。
セーラーが自分の満足を後回しにして、他人に観せることを最優先させたセーリング。でも、それで多くの人に観てもらえるようになったら、あとから最高の満足感がシャワーのように降ってくると思うのだ。
2020年の東京オリンピックに向けても、「セーリングをどうやって観せるのか」を研究し、アイデアを出し合おうではないか。テレビ局に全部オマカセでは、彼らもこちらに目を向けてはくれない。いくら自国開催だからって、数字(視聴率)の稼げない競技に高額な放映権料を払う必要はないのだ。セーリング競技の将来を憂う皆さん、いまから考えないと間に合わないぞ。■
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