Fullhike style of J-Snipe

index  cover sailors file race report column about this page

 

[column]  鷸が跳ぶ

 

009 オリンピック その弐

 

text by Koji Ida

 

 

テネオリンピックが終了した。セーリング競技の日本選手は、男子470級の関選手、轟選手のペアが銅メダルを獲得し、男子種目としては初めての快挙を達成した。同じセーリング競技に携わる人間の中で『本当にオメデトウ!本当にアリガトウ!』と思ったのは、当然ながら 筆者だけではない。

 

ここで、本サイトはスナイプ専門のページとしているので、敢えてスナイプ的な視点から、今回のオリンピックを考察したいと思う。独断と超偏見によるものなので、多少の誇張表現は勘弁して頂きたい。

 

轟選手は、京都産業大学時代にスナイプ級のスキッパーとして、一年生の時からインカレ等で活躍していた。関選手も日本大学時代、1シーズンをスナイプチームで活動していたと、筆者は記憶している。スナイプ級での経験があったことが、彼等のセーリング技術の幅を広げ、今回の結果になんらかの影響を与えている、と勝手に決め付ける。本人達から「それは違うよ」と訂正されそうだが、それは本人達も気が付いていないだけである。オリンピックを見て、「よしっ、私も!」と思った方も居られると思うが、その夢を実現する為には、スナイプでの経験が不可欠ということ。オリンピックを目指す人は、是非、スナイプ経由で頑張って欲しい。筆者も毎回オリンピックが終った直後、『よし!次は僕も行くぞ!』と強く決意して、ジョギングから始めるのだが、いつも三日坊主で断念してしまう。オリンピックという最上級の決意を、三日で諦めてしまえる自分に、毎回感心する。

 

他国の代表を見ても、スナイプ出身者が多数参加していた。ブラジル470級代表は、2001年スナイプワールド優勝で、今年の西半球も優勝したパラデダ。後半に崩れて8位となったが、レース前半はメダル圏内をキープしていた。同じスナイプのワールドタイトルを持つ選手として、ランゲ(アルゼンチン)がトーネード級で銅メダル、『5分先の風を読む男』と呼ばれるグラエル(ブラジル)は、スター級で圧勝の金メダル。彼は過去のオリンピックでも、金銀各1個および銅2個を獲得しており、開会式の際には、ブラジル選手団の旗手も務めた母国の英雄である。1999ワールドで準優勝となったフォンセカ(ブラジル)も49erで6位入賞。このように、多くのスナイプ出身選手が活躍しており、スナイプを極めることと、セーリング競技を極めることが、ほぼ同じベクトル上にあることを証明してくれた。

 

アテネオリンピックの公式サイトを見ていると、参加選手が何歳から競技を始めたかが記載されている。セーリング競技について調べてみると、殆どの選手が10歳前後からヨットに乗り始めているようである。やはり、オリンピックに出場する為には、小さい頃から競技を始めた方が、比較的有利ということであろう。このことから 単純に考えると、日本人選手が オリンピックで更に活躍する為には『ジュニア世代からの強化』が第一となる。しかしながら、そんなことはジュニアクラブで指導されている方達が、ずっと継続していることであるし、最近のオプティミストの国際大会では、日本選手が優秀な成績を納めている。簡単に“ジュニア強化”なんて方針を上げるのは失礼な話であるし、そんな方針によって、すぐに日本のセーリング競技が強くなるとは思えない。筆者が思うに、大切なのは もっと根本的な段階、『自分の子供にセーリング競技をやらせたい』と思う親達を如何に増やせるか、ではないだろうか。

 

在の日本において、セーリング競技を始める切っ掛けは、高校や大学のヨット部への入部が一番多いのではないかと思う。そこで競技を始めた人達が、自分達の子供にヨットをやらせたいと思えるようにしなければ、ジュニア世代からの競技人口は増やすことが出来ない。一般的に、結婚して子供を持つ年齢が、二十歳代中頃〜三十歳代中頃とすると、子供を10歳からヨットを始めさせようとすれば、親の年齢は三十歳代中頃〜四十歳代中頃となる。その時点で、親自身がセーリングを続けているか、この競技に携わっていないことには、自身の子供にヨットをやらせようとは思わないであろう。もし、やらせようと思っていても、セーリング界からブランクがあれば、切っ掛けが見つけにくいであろう。要は『親になる世代まで、セーリングに関わる人が増える、そんな体制や雰囲気づくり』が、日本のセーリング競技にとっての、一番の強化策だと筆者は思う。

 

じゃあ、その為には具体的に何をすれば良いのか。高校や大学でセーリング競技を始めても、卒業を機会に辞めてしまう人が殆どである。卒業する前は皆「これからも競技を続けていきたい」「どんどん後輩の指導や手伝いをしたい」と希望を持ちながらも、それを実際にできる人は少ない。人それぞれ、いろいろな事情があるのだろう。しかしながら、大学ヨット部などでは、社会人に成り立ての卒業生達が、更に年長のOB達に強制的に招集されて、レース運営などで扱き使われる、という風土も一部残っているようである。そういった圧迫的な雰囲気が、卒業生達をヨットから遠ざけているように感じる。「使う為に呼ぶ」のではなく、「一緒に働く為に呼ぶ」という姿勢になってくれれば、卒業後にクラブへ顔を出してくれる人も増えるであろう。実際に後輩を扱き使っている筆者も、考えと行動を正さなければならない。

 

筆者自身、日本のセーリング競技の今後の為に、大したことが出来る訳ではない。出来ることと言えば、このまま競技を続けることぐらい。それくらいしか出来ないし、今は それだけで良いんじゃないかな、と思っている。もしも自分に子供が出来たとして、その子にセーリング競技を勧めるかどうかは、正直なところ『半々』といった気持ちである。現時点で、このセーリング界に期待できない、という感情も自分の中に存在しているからである。結構多くの人が、筆者と同じように思っているのではないだろうか。しかしながら、続けていれば、この競技をより良くする何かを見つけれるかもしれないし、手伝うことが出来るかもしれない。辞めてしまえば、何も解らないし、何も出来ない。ディンギー種目で、四十歳代中頃までも十分に継続でき、国内でも海外でも十分に普及しており、子供にも伝えられ、オリンピックに繋がる技術を身に付けれらるクラス。スナイプは、それに当てはまると思う。日本のセーリング界に、スナイプが果たせる役割は未だ十分にある。皆さんも、自分自身が続けることで、この国におけるセーリング競技の強化に繋がっている、という自負を持って欲しい。自分が青春の大半を費やした競技スポーツを、自分の子供に自信を持って『やらせたい』と思えなければ、非常に哀しいことである。皆が『やらせたい』と思えるようになれば、セーリング界の室伏親子や浜口親子が、いずれ誕生するであろう。

 

た一方で、指導者達は 高校や大学でセーリング競技を始めた選手でも、オリンピックや世界選手権で活躍できることを証明しなければならない。依然、そこで始める選手が競技人口の大半を占める以上、その選手達の可能性を見出さなければならない。高校で始めてもインターハイに勝てるし、大学から始めてもインカレで勝てる。筆者も、指導者の端くれのハジッコに位置しているので、このことが大きな命題となっている。高校でも大学でも、ジュニア出身選手の活躍が目立っているが、この現状を覆す指導方法の確立は、非常にやりがいのある挑戦である。これが実現できれば、ジュニア選手の強化にもフィードバックできる。日本ヨットの将来において、インカレ至上主義を否定する意見もあるかもしれないが、今回のメダリストも、その主義を経験して生まれた選手である。インカレ至上主義があるからこそ、インカレが盛り上がる。セーリング競技は、オリンピックや国際大会を目指す一部の人達だけのものではない。実際には、全ての大学ヨット部がインカレ至上主義という訳ではないし、インカレが盛り上がらなくなれば、日本のディンギーレースは衰退する、と筆者は予測する。甲子園での高校野球があるから、日本の野球は発展してきた。日本のヨットも、インターハイやインカレという、若い人達が国内で盛り上がれる大会があるから、更に海外へステップアップしようとする選手も出てくるのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

オリンピックから随分離れた内容になってしまったが、今回の大会は色々なことを考えさせてくれた。筆者は、TVによる映像でのセーリング競技の報道には出会えず、未だに新聞では「セーリング」ではなく「ヨット」と紹介されていたのが残念だったが、インターネットの発展により、今までになかった様々な情報が、リアルタイムで入手できるようになった。この新しいヨットレース観戦方法に、更なる発展を期待したい。

 

大会全体を通して見ても、今回の日本人選手のメダルラッシュにより、日本人の身体能力が、欧米人には劣っていないということを証明してくれた。セーリング競技においても『体格が違う』ということは、もう言い訳にならない。正しい鍛え方をすれば、身長以外のフィジカル面は、十分に強化することが出来るはずである。そして何よりも、関選手と轟選手が、日本人でもセーリング競技で世界に通用することを証明してくれた。オリンピック種目だけでなく、スナイプについても、「日本人だから・・・」という言い訳も、そんな形容詞も、もう必要がなくなったのである。

 

メダルを獲得した関選手、轟選手は勿論のこと、他種目の日本人選手達やサポートに尽力された方々、代表選考に破れた選手達も含めて、本当にお疲れさまでした。アトランタの銀メダルに続く、今回アテネの銅メダル、本当に偉業です。本当におめでとうございます。しかしながら、もう一つの色のメダルについて『私の為に残してくれて、ありがとう』と、何の根拠も無く思ったのは、筆者以外にも結構いるのだろう。■

 

 

 

index  cover sailors file race report column about this page

style of J-Snipe Fullhike