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クルーとして、全日本スナイプで三度の優勝。国内では、これ以上ない実績を残しながらも、まだ目指すところへは到達していない。彼は何を求めて、何に向かって、ハイクアウトを続けるのか。

 

text by Koji Ida

photographs by Takuya Miyaguchi

/Gusty Photo Service

 

度の全日本スナイプ優勝。その回数は丸山選手(本田技研熊本)と並び、国内で最高成績を残すクルーの一人である。しかしながら彼は、その最初のキャリアにおいて、スキッパーとして多くの時間を費やしてきた。

 

米子高専に入学してセーリング競技を始め、同時にスナイプの世界に入る。練習時間に比例して技術は向上し、全国レベルでも十分に戦えるレベルに達した。

 

 

 

しかしながら、同じ鳥取県の境高校ヨット部にいた同級生、瀬戸口選手(現 本田技研熊本)の存在により、いつも2番手としての扱いを受ける。当時の高専は、未だインターハイへの出場を許されず、国体だけが目標であった。その国体も インターハイ優勝の実績を持った瀬戸口選手が、県代表として選出された。結局、高専3年までに全国で実力を発揮する場を与えられず、4年と5年時はシングルハンドで国体に出場する。化学を専攻する彼は、高専卒業後に島津製作所(京都市)に入社。そこでスナイプの活動が再開される。入社1年目には、京都府代表として国体にも出場する。だが、95年の全日本スナイプを最後に、スキッパーでの活動を辞め、クルーとして、同じ鳥取県出身の2歳下である井田と新たなキャンペーンを始めた。ただ山崎選手は今でも繰り返して口にする。「俺がティラーを持った方が速い」。コンビを組んで未だ間もない頃、一度ならずレース中に井田からティラーを取り上げたことがある。クルーなのに何故かずっと、テルテールから目を離さない。「タックだ!」と叫んで、大きくロールを入れる。井田が全くティラーを切っていないのに。そんな彼のスタンスが、現在もチームを引っ張っている。“スキッパーとしてのクルー”というスタンス。

 

 

 

003年、スウェーデンで開催されたスナイプ世界選手権で、13位に入賞(15位までが入賞)し、江ノ島での全日本スナイプでは、僅差での準優勝。パートナーの井田が、椎間板ヘルニアによりベストなコンディションではなかったが、自身が補うことによって、その逆境を感じさせない結果を残した。ヘルムスマンの逆境をカバーできるクルーは、そんなに多くは存在しない。

 

96年、井田とコンビを組んで最初の全日本スナイプで、いきなり優勝する。当時は『二流スキッパー二人が即興で組んで、ラッキーな結果を得た』という程の評価であり、本人達もそう思っていた。その評価を裏付けるように、翌年、翌々年の全日本スナイプでは惨敗する。普通なら“全日本チャンピオン”という肩書きを汚す前に、スナイプでのキャリアを終えてもおかしくない状況である。しかしながら、それでもキャンペーンを継続し、99年に2度目の全日本スナイプ優勝を達成する。それからは2001年に準優勝、2002年優勝、2003年準優勝と、安定した結果を残すようになる。

 

成績もさることながら、山崎選手は井田と組んで、95年から9回連続同一コンビで全日本スナイプに出場している(95年は井田がクルー)。スナイプに限らず、国内ツーマンディンギーの中でも、非常に稀な存在である。新しいパートナーと組めば、コンビネーションを完成させる為に、どうしてもゼロから始めなければならない部分が多く発生してくる。彼等は、同じパートナーで活動を継続することにより、全ての経験を共有して積上げていく。『継続は力なり』を実践して“二流+二流=一流”を実現したのである。

 

崎選手は昨年の全日本スナイプの結果で、今年7月にブラジルで開催予定のスナイプ西半球&東洋選手権への出場権利を獲得している(全日本スナイプ上位5チームに権利が与えられる)。 

実業団の選手といわれると、他のメジャー競技のように、一般社員とは別扱いで、殆どの時間をトレーニングと試合で費やしている、と勘違いしている人もいるかもしれない。セーリング競技においては、多くの場合がノーである。費用補助についてはチームによって異なるが、殆どの実業団選手は、一般社員として勤務し、週末の休みだけで競技活動を続けている。山崎選手も、会社では普通のサラリーマン。メッキ加工処理グループで主任を務め、納期とクレームに追われている。家に帰れば一児のパパ。仕事と家庭とセーリング。何かを犠牲にできるようなエゴイストではない。全てをこなそうとして苦悩する事もある。

 

山崎選手とは、筆者は長くお付き合いさせて頂いている。正直、このひと以外とでは今までの成績は上げられなかったと心底思う。

お互いに「練習するから来てくれ」と言ったことがない。自分が「行くから」と言うだけで、相手の行動は強制しないし、強制されたこともない。そうして、独りハーバーで時間を潰す日もあるが、自主的に集まって練習できる時は、義務感や強制からするそれとは効果が違ってくる。好きなときだけヨットに乗るのだが、ヨットが好きだから、ずっと乗っている。世界で勝つまで、山崎寛はずっと乗り続ける。

 

 

山崎 寛  Hiromu Yamasaki

1971年生まれ、鳥取県米子市出身。米子高専ヨット部でセーリング競技をはじめ、高校時代からスナイプに乗る。卒業後、島津製作所へ入社。4年遅れで入社した井田とコンビを組み、96年、99年、02年の全日本スナイプ選手権で優勝。昨年の世界選手権では13位。174cm 68kg、A型。

 

 

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