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インカレ完全優勝という、誰も為し得ない夢を実現した。しかしながら、吉岡選手にとって過去は意味を持たない。今、この瞬間の勝利を強く追い求め、自分の殻を打ち破ろうとしている。

 

 

text by Koji Ida

photographs by Miki Ida

/Gusty Photo Service

 

 

 

日本インカレ両クラス完全優勝。大学ヨットを経験したものならば、誰もが一度は夢に見る願望である。そして、その殆どの者が決して叶えることの出来ない、夢のまた夢。79年大会より、スナイプと470両クラス合計での総合成績が導入されてから、完全優勝が達成されたのは過去に3回しかない。ある意味、この国のセーリング競技においては、オリンピックに出場するよりも価値があるのかもしれない。12年前、吉岡選手はその至福の体験を、主将という立場で実現した数少ない存在である。

 

 

 

 

 

学3年から琵琶湖ジュニアでOPに乗り始める。中学卒業後は、ヨット部のあった京都西高校に進み、そこでスナイプを始めることになる。高校2年で国体準優勝。3年のときも、インターハイで準優勝という成績を残す。同級生には、安部選手(シルトロニック・ジャパン 旧ワッカーNSCE)、瀬戸口選手(本田技研熊本)、内田選手(逗子開成)、山崎選手(島津製作所)と、現在でもトップで活躍する選手を多く輩出している学年である。

 

同志社大学ヨット部では2年生時からレギュラースキッパーとなり、4回生の時には主将として、全日本インカレのスナイプ、470両クラス完全優勝を達成する。大学4回生のときの全日本スナイプでは6位入賞。卒業後、ヨット部のある企業には進まず、全くのプライベートで活動を続ける。企業ヨット部に所属しない為に、仕事の関係でシーズンを棒に振ることもあったが、97年、99年の全日本スナイプで3位に入賞。その後、海外勤務によりドイツで一年間過ごし、2002年のシーズンからスナイプ界に復帰している。

 

企業ヨット部に所属しない為、資金面でのサポートは全くない。自身の収入から全てを賄い、レース参加の為の休日取得も困難な状況である。そんな楽ではない環境でありながらも、競技を続けることになんの苦も感じていない。それは、ヨットレースが好きだからであり、スナイプが好きだからであり、そして何よりも、勝つことが好きだからである。

周囲の人からは「よく続けられるね?」と度々聞かれるが、本人としては好きなことをしているだけであり、逆に、そう言ってくる人に疑問を感じてしまう。他の人が「苦」と感じることを、至って自然体でこなしてしまう。三度の食事のように、ヨットレースが生活から切り離せない。生きていく為に本能的にしてしまうこと。吉岡選手にとってのスナイプは、そんな存在になっている。

 

者は、吉岡選手と同じ大学出身で2年後輩にあたる。インカレ優勝時、筆者は4番艇スキッパーだったので、そのレースには出場していないが、当時のことは鮮明に覚えている。レース中盤で吉岡選手がスコアを崩してしまい、当時の監督から「お前、吉岡の代わりに出ろ!」と言われ、「嫌です」とキッパリ即答した。それくらい信頼できる主将であったことと、自身が代わって更にスコアを崩した時に、どんな仕打ちを受けるか分からないという恐怖心から来る判断であった。いまでもそれが正しかったと思うし、いまだに同校でインカレ出場を拒否した選手は、筆者以外にいないようである。

 

大学卒業後も、同じ琵琶湖で活動する選手として、ほとんど一緒に行動させてもらっている。吉岡選手は どんなレースでも、毎回のように誰が勝つか候補者を予測する。そして、その予測は毎回のように「まあ、俺が優勝候補筆頭やから・・・」という、お決まりのセリフで始まる。全てのレースにおいて、自身の勝利が大前提なのである。

 

吉岡選手は、「完成された」と言っていいほど、基本に忠実でオーソドックスなセーリングスタイルが特長である。そのヨットキャリアの長さにより、ラウンディング動作やハンドリング、コース展開、スタート技術、それら全てにおいて、基本が高い次元で徹底的に身体に染み付いている。ただその反面、「これだけは誰にも負けない」という突出した部分が足りなかったのかもしれない。過去2回の全日本スナイプ3位という成績も、両方ともレガッタ中盤ではトップに立っていながら、逆転負けしたものである。最近の2年間も、過去の実績から見れば、不甲斐ない結果が続いている。勝つ為の技術は十分に身に付いている。しかし、技術以外の足りない何かを求めて、殻を破ろうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

年のシーズン最初のレース、同志社ウィークで3位(81艇参加)と、まずまずのスタートを切る。初日の成績ではダントツのトップで折り返し、ここ数年にはない仕上がりを見せている。ボートスピードには未だ自身も満足していないが、アグレッシブなスタートと、巧みなコース展開でカバーした。他のトップ選手達より比較的古いボートを使用している為に、スピードを引き出すまでには未だ時間を必要とする。また、ペアを組む西口選手の体重が若干足りないのも気になるところである。今年の全日本は蒲郡で開催される為、強風対策がどうしても必要となってくる。しかしながら、これらの部分の課題がハッキリと見えていることにより、本番に向けての明確なアプローチが可能となる。不足面を補ったとき、吉岡選手の「堅実な爆発力」は、他の選手にとっても大きな脅威となるに違いない。

 

スナイプに乗ることが吉岡選手の生きる為の糧であり、レースの結果が生きている証となる。年代別の大会で、当然のように結果を残してきた。勝つことが当然と思ってきた。勝てていたが故に、新しい何かは必要なかったのかもしれない。しかしながら今、敗北という屈辱が触媒となり、化学反応を起こそうとしている。吉岡選手は怒ると恐い。体育会の後輩として付合っている筆者は、よく知っている。今年の全日本スナイプで、今までの屈辱全てへのリベンジを果たそうとしている。吉岡卓として生きる為に。そして、自身の存在を証明する為に。■

 

 

 

吉岡卓 Takashi Yoshioka

1971年生まれ、京都市出身。同志社大学ヨット部時代に主将として、全日本インカレ完全優勝を達成。企業ヨット部には所属せず、スナイプでの競技活動を続ける。全日本スナイプでは、92年-6位、97年-3位、99年-3位。日本代表として、西半球選手権に98年(江ノ島)、2000年(アルゼンチン)と2回出場。173cm 72kg。

 

 

 

 

 

 

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