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sailors file 005

 

その炎の色は赤ではなく、青白く光っている。その炎は見た目には小さいながらも、高温を維持し、多少の風では揺れ動かない芯の強さを持っている。そしてその炎は、彼の中で静かに燃え続けている。

 

 

text by Koji Ida

photographs by Koji Ida

/Gusty Photo Service

 

 

「今年は結構狙ってたんだよね」

2002年、山口県光市で開催された全日本スナイプ選手権。そのレースが終り、閉会式までの待ち時間、うつむきながら安部選手が小さな声でつぶやいた。全日本選手権では‘99年から4位、3位、3位と三大会連続で入賞し、そして迎えた地元山口での大会。周囲からも優勝候補筆頭と期待され、自身も「今回こそは」と決意していた。しかしながら、最終成績は26位。微風下でシフトの激しいシリーズとなり、気持ちの焦りから自滅した結果となってしまった。周囲と自分、両方の期待を裏切ってしまった、そんな哀しみを含んだ言葉に聞こえた。

 

安部選手はシャイである。自分でも、そう言っている。誰かと会話する際でも、相手の目を見ることが出来ず、視線をそらして喋ってしまう。普段から無口で、感情を剥き出しにするようなことはない。そんな安部選手が、この大会の時だけは違った。周囲の期待からくる緊張と、自身が誓った結果に対する緊張。それらと戦い、もがいている姿が、はっきりと見て取れた。

 

山口県の聖光高校ヨット部でスナイプを始め、3年の時にインターハイで3位、そして国体で全国制覇を達成する。最初にヨットに出会った光の海を愛し、そこから離れようとはせず、卒業後は 地元で強豪ヨット部のあるニッテツ電子(現シルトロニック・ジャパン)に進む。実業団のトップチームで、早くからエースとして期待され、ヨット競技選手としての成功は約束されているようにも見えた。しかしながら、ここから安部選手はヨットから完全に離れ、3年間のブランクを空けることになる。理由は愛娘の誕生。彼の責任感の強さにより、夫人の負担を軽減する為、敢えて競技活動を休止し、家族を守ることに専念する生活を選択したのである。

 

山口でのレースに参加する時、筆者は琵琶湖で一緒に活動している選手達と、安部選手の自宅にお世話になる。安部選手と同い歳の夫人と二人の娘さん、ヨットレースの喧騒感とは無縁の温かい家庭に囲まれて、その日の疲れから癒される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部家の子供たちは、他の例と同じように、最初は外来者に対して人見知りしているが、数日経てば打ち解けて、無邪気な姿を見せてくれる。筆者は客人たちの名前を覚えてくれたかどうか、彼女たちを試してみる。

 

この人は?   「ヨシオカさん」

この人は?   「ニシグチさん」

この人は?   「ヤマサキさん」

じゃあ僕は? 「イダ!」

 

他の例と同じように、筆者に厳しく対応してくれる。親の教育が行き届いている証拠である。

 

しかしながら、そんな彼女たちの笑顔を見ていると、安部選手が競技活動を中断してまで守ってきたものの大切さを感じる。種目は何であれ、理由が何であれ、競技選手にとって、自身の意思でその活動にブランクをつくるということは、大きな不安であり、非常に勇気のいる決断である。安部選手は、その保証の無い大きな遠回りを決断することにより、小さな味方を手に入れた。その数年間のブランクを、一気に帳消しにしてしまえる程の勇気を与えてくれる、小さな二人のサポーターである。

 

復帰後の安部選手は、やはりブランクの影響により、なかなか結果を残すことが出来なかった。しかしながら、粘り強く競技を続けることによって徐々に頭角を現し、‘99年の全日本から三大会連続で入賞を納め、国際大会へも2000年西半球選手権アルゼンチン大会、2001年世界選手権ウルグアイ大会、2002年西半球選手権ングビーチ大会(USA)に日本代表として出場する。だが、自艇を持ち込んで万全の態勢を整えて挑んだはずの2001年ウルグアイワールドでは、2回の失格もあり、屈辱の49位。この敗戦により、国際大会での結果が安部選手の最大の目標となる。

 

安部選手の最大の武器はクローズのスピード。「日本で一番クローズが速いのは?」という質問があった場合、安部選手の名を答えとする人間は少なくない。レース中はボートスピードに全ての神経を集中する。2000年からコンビを組む山近選手にコースの全てを託し、フィニッシュするまで、自艇の順位を把握していない時さえある。

そして、そのスピードによる安定したスコアで、シリーズの得点を最少に纏めることが出来る。昨年の全日本選手権(江ノ島)では、実施レース数が少なかった為に惜しくも入賞を逃したが、その風域に限定されない安定感が、彼をどの大会でも優勝候補に位置づけられる存在にしている。

 

安部選手は虎視耽々と狙っている。地元開催での全日本敗北の悔しさ、ウルグアイワールド惨敗の時のもどかしさ。いままで周囲に吐出すこともなく、自分の中に隠し続けていた青い炎にも似た感情。それら全てを開放する場所を探し続けている。小さな応援者達に良き結果を報告する為に、もう同じ失敗は繰り返さないと心に誓い、安部選手は その時が来るのを待っている。誰よりも静かに、じっと その時を待っている。その時がいつなのか、彼は未だ誰にも打ち明けてはいない。■

 

 

 

安部賢司 Kenji Abe

山口県聖光高校ヨット部にてセーリング競技を始め、高校3年時にはインターハイ3位、国体優勝。高校卒業後、地元のニッテツ電子(現シルトロニック・ジャパン)ヨット部へ。数年間のブランクの後、全日本スナイプでは'99年牛窓大会で4位、2000年長崎大会、2001年境港大会で3位の成績を納める。国際大会へは、2000年アルゼンチン西半球、2001年ウルグアイワールド、2002年ロングビーチ西半球で日本代表。2002年、地元 光大会で悲願の全日本制覇を狙うが、無念の26位。リベンジの機会を捜し求めている。1970年生まれ 174cm 67kg A型

 

 

 

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