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競技者と指導者の両立。殆どの者が為し得ない矛盾にも、いつもの笑顔で立ち向かう。子供たちに伝えるのは、好きになる事と好きな事を続けることの大切さ。彼の持つ、この競技への強い愛情が、すべてのことを徐々に可能にしていく。
text by Koji Ida photographs by Miki Ida /Gusty Photo Service
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日本には、実は結構な数のヨット指導者が存在していると推測する。海外諸国のヨットクラブが主体となる体制とは違い、高校や大学の課外教育としてのヨット部が、競技人口の底辺を担っているからである。ヨット部のある高校では“顧問”と呼ばれる指導者が必ず存在しなければならず、その指導者の意欲や技術レベルは、生徒である選手達の成績を左右するだけでなく、卒業後の進路やセーリング競技を続けるか否かまで、影響を与えているはずである。そういった視点で見ると、ヨット部の顧問を務める人達は、日本のヨット界で一番重要な存在なのかもしれない。
元々ヨット経験がある指導者は、自身の現役競技活動を終えた後、その立場に就くのが殆どと思う。もしくは、指導者となった時期に、自身の競技活動を終りにする。その理由は多くの場合、指導者として教えることと、自身の競技活動の結果に矛盾が発生することを恐れるからだと筆者は推測する。簡単に言えば、生徒達に勝ち方を教えている立場で、自分が勝てなくては、嘘になってしまうから。自身の指導方法の信憑性を確立する為に、自身の結果を削除する。指導だけに徹することが悪いとは思わない。筆者も、もしも真剣に指導者になろうと思えば、自分のレース活動は辞めるであろう。その方が教えるには都合がいいし、楽だから。 |
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だが内田選手は違う。いや、内田教諭と書くべきか。自身のヨット競技出発地点である、母校 逗子開成高校の教員にして、ヨット部顧問を務めている。現在、35人もの部員を抱え、週に4日は指導の為に海に出る。教員という公務員の立場でありながら、結構ヨット漬けの生活。しかしながら、自分でヨットに乗る時間は限られている。前述の筆者が決めつける定説からすれば、現役選手を辞めているのが普通だろう。しかしながら、内田選手は限られた自分の時間を最大限に活用し、自身の競技活動を継続している。継続しているだけではなく、この国でのトップレベルを維持している。いや、維持しているのではない。継続することにより、トップに上り詰めてきたという方が正しい表現であろう。
内田選手は、高校からセーリング競技を始めたが、ヨットに乗りたくて、ヨット部のある高校を選んで入学したそうである。殆どの人間は、ヨットに乗ってからヨットが好きになる。だが内田選手の場合は、ヨットに乗る前から ヨットが好きだったようである。高校や大学時代は、吉岡選手(柳ヶ崎SC)や安部選手(シルトロニック・ジャパン)など、後に日本を代表するトップ選手を多く輩出した学年でもあり、目立った成績を残すことは出来なかった。だが、大学卒業後も 決してスナイプの活動を辞めようとはしなかった。何よりもスナイプが好きだから。 実は内田選手『毎日、スナイプマークが付いているグッズを一つでも身に付けていないと落ち着かない』という程のスナイプおたく。自分でそう言っているのだから、間違いない。 ここ数年、学校の春休みの時期には、マイアミやカリフォルニアでのウィンターサーキットに独自で参加している。スナイプの海外レースに出場を希望する選手は沢山いるであろう。何も世界選手権や西半球だけが海外でのレースではない。出たければ、出れるレースを探して、出ればいい。内田選手は、皆が思いながらも実行できない、そんなことを実行に移している数少ない存在である。こんな独特の活動スタイルにより、着々を実力を上げ、昨年の世界選手権、今年の西半球選手権には日本代表として出場する。 そして一番の強みは、海上でも家庭でもパートナーを組む、みち子夫人の存在である。日本のスナイプ界では珍しい夫婦コンビでありながら、その実力は実業団選手にも劣らない。それもそのはず、みち子夫人はスキッパーとして約7年間、470のナショナルチームに在籍して、オリンピックを目指した超実力派。‘99年の全日本スナイプから、二人でコンビを組んで出場している。 二人が結婚されるまでの秘話も色々伺ったが、のろけ話や恋愛談を紹介するのが本誌の目的ではないし、筆者の専門分野でもないので、これ以上は触れない。興味のある方は、直接本人達に聞いて欲しい。 |
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昨年の江ノ島での全日本スナイプ。台風直撃の影響で、女性には正直言って厳しいコンディションであったと思う。そんな状況でも、この夫婦はシングルをキープし、スコアを崩さない。 何レース目か、筆者の前を帆走る内田夫妻が、アップウィンドレグで沈をしているのを目撃した。その横を通過した時、筆者は叫ぶ。 『大丈夫ですかぁ?二人の愛は大丈夫ですかぁぁ!?』 二人は笑顔で返してくる。 『大丈夫だよぉぉ!』 そして、すぐに艇を起こし、再び帆走り始めて、シングルでフィニッシュ。恐るべき夫婦。
内田選手は言う。 『海に出る回数は多いけど、自分のヨットの時間は殆ど取れないんだよ。でもその分、スナイプのレースに出るチャンスがある時は、それが海外だろうがどこだろうが、全部出たいんだ。そういうチャンスを大事にしたいと思う』 今年のブラジルで開催された西半球選手権。仕事の都合で再短期間に強いられた遠征日程と、天候悪化によるフライトの遅れにより、現地到着がレース前日の午後となってしまった。それにより、時差ぼけ対策も出来ないまま、半日でのチャーター艇準備と計測を強いられる。そんな逆境でありながら、最初のレースを5位、続く2レース目も9位と日本チームを引っ張る。だが、強行日程の無理が溜まり、大会三日目で みち子夫人が熱中症で倒れてしまう。そんな極限まで追詰められた二人であるが、倒れた二日後には元気な笑顔に戻っている。余程ヨットレースが好きなんだろう。
こんなヨット好きな指導者が居る限り、日本のヨット界は大丈夫だと思えてくる。こんなスナイプ好きな選手が居る限り、日本のスナイプは面白いと思えてくる。内田選手とみち子夫人の二人三脚は、転んでも転んでも、笑顔で起き上がって、前に進んで行く。転べば転ぶほど、笑顔が大きくなってくる。いつの日か、表彰台の一番上で、更に大きな二人の笑顔が、見れる時が来るような、そんな予感がしてたまらない。■
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内田伸一 Shinichi Uchida 逗子開成高校ヨット部にてセーリング競技を始め、スナイプに乗り始める。関東学院大学ヨット部を経て、現在は母校である逗子開成高校の教員となり、社会科と技術課程を受け持つ。母校ヨット部の顧問と日本FJ協会の事務局を務めながら、自身のスナイプでの活動を継続する。一つ年下の妻、みち子さんとは'99年全日本スナイプからコンビを組む。169.5cm 70kg 1971年生まれ。 |
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