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アメリカズカップ三大会出場、J24世界チャンピオン、アトランタオリンピック日本代表。セーリング競技における世界最高峰のカテゴリーに挑戦し続け、結果を残してきた。しかしながら、まだ更なる上を極めようと追い求めている。その答えの欠片を拾う為に、彼は時折 出発地点へ帰ってくる。スナイプという原点へ。

 

 

text & photographs by Koji Ida

 

 

 

 

 

年の琵琶湖スナイプ選手権。学生や大学引退後1〜2年の若い選手が大半を占めるこのフリートで、ちょっと周囲の雰囲気とは違った選手が混ざっていた。兵藤和行選手である。

 

ニッポンチャレンジのメイントリマーとして、アメリカズカップに挑戦。ソリング級の日本代表として、アトランタオリンピックへも出場した。ニッポンチャレンジ解散後も、国内外のキールボートレースで活躍し、2001年に西宮で開催されたJ24世界選手権では、スキッパーとして見事優勝を達成する。現在も、サラリーマンという隠れ蓑を被りながら、週末はフリーのセーラーとして、全国各地のキールボートレガッタに参加している。日本のヨットレースに関わる者ならば、誰でも知っているスーパートップセーラーであり、現時点で「日本一のヨットマン」と言っても過言ではない。

 

 

 

ナイプが、そんな兵藤選手の原点になっている。膳所高校でセーリング競技を始め、それがそのままスナイプとの出会いとなった。その恵まれた体格から、同志社大学時代にも多くの伝説を残しているが、後輩である筆者からは、その「伝説」について明記することは出来ない。大学卒業後も87年の沖縄国体、88年京都国体で二連覇を達成。それ以降のアメリカズカップやマッチレースツアーでの活躍は、ここで書き尽くすにはスペースが足りなすぎる程、膨大であり、多彩である。

 

筆者は前述のように、兵藤選手の大学の後輩にあたる。8歳も離れているので、出会っても挨拶をするだけの、雲の上の存在であった。普通にお話しさせてもらうようになったのは、筆者がキールボートで勉強させてもらい出した頃から。特に、2001年のJ24世界選手権に向けたキャンペーンの際は、お互いに最終予選直前にチームを結成し、J24のヘルムを持つのは始めて、という同じ状況だったので、毎週のように一緒に練習させて頂いた。その時に、多くのことを兵藤選手から学ぶことが出来た。セーリングのテクニックについてのものではない。セーリングの最高峰を目指す、一切の妥協を許さない姿勢である。

 

兵藤選手は、自称『オーナー以外の全てのポジションをこなすヨット好き』である。ヘルムだろうが、トリマーだろうが、バウだろうが、ポジションなんて関係ない。ヨットの上で、高い目標を目指して、そして勝って、完全燃焼したい、と強く願っている。どんな艇種でも、どんなポジションでも、セーリングという道を極める為にプラスになることであれば、積極的に取り組んでいく。40歳という年齢、普通のサラリーマンとして生活する今でも、毎日8キロのランニングと600回の腹筋を欠かさない。競技生活を引き伸ばす為、という延命的な意識でトレーニングをしている訳ではない。世界最高のパフォーマンスを実現する為に、身体を虐め抜いている。プロフェッショナルとしての意志が、その鍛えられた身体から伝わってくる。若い選手は、兵藤選手から「言葉」で教えを請う必要はない。姿を見れば、勝とうとする人間は どうあるべきか、ということが感じ取れるはずである。

 

オーナー以外の・・・と言いながら、兵藤選手が そのオーナーまで こなしている艇種がある。そう、スナイプである。数年前に中古で村井ヨットを購入し、自宅の近く、高校時代から慣れ親しんだ琵琶湖の柳ヶ崎ハーバーに置き、暇があれば整備をしたり、学生の練習に参加したりしている。キールボートとの日程が折り合えば、同志社ウィークや琵琶湖スナイプなどのレースにも参加し、真剣に勝ちにいく。

 

ある週末、兵藤選手とスナイプで練習する約束をする。マウンテンバイクでハーバーに颯爽と現れ、風が無ければ琵琶湖に向けてキャスティング。昼食は、天下一品の“こってり大”。湖上で学生と帆走り合わせる。私は指導者も兼ねているので、大先輩に意見を伺う。

 

「今年の学生は、どおっすかね?」

「うん、今日の俺は速かったな!」

 

即答である。

求道者たるもの、常に自分のことだけを考えなければならないのだ、と思い知らされる。

 

兵藤選手は、これからも上を目指していく。そのスタンスは「ヨットレースで勝とうとしている」というより、「ヨットレースの真理を追究しようとしている」という方が、正しい表現に見える。そして時折、自分の原点である琵琶湖に立ち止まり、スナイプを振り返る。そこで新しい何かを発見して、また次の挑戦へと向っていく。さあ、HYODOに続け! 今、若いヨット乗り達に、これ以上のお手本はない。

 

スナイプが全てではない。だが、スナイプに全てがある。兵藤選手の大きな背中が、若い世代へ、そう言い聞かせているように感じる。■

 

 

 

 

 

 

 兵藤和行 Kazuyuki Hyodo

 

滋賀県立膳所高校でスナイプと出会い、セーリング競技を始める。同志社大学に進んでからもスナイプに乗り、二度のインカレ優勝。卒業後は国体成年男子スナイプ級で87年、88年と二連覇達成。アメリカズ・カップには92年、95年、2000年の三大会に出場。アトランタ五輪ソリング級代表、2001年J/24世界選手権優勝スキッパー。現在、最強のプロフェッショナルサラリーマンセーラー。1964年生 187cm

 

 

 

 

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